野球

斎藤佑樹の年俸2020は?これまでの年俸推移や成績も調査!

高校時代に甲子園でマー君こと田中将大投手と投げ合い、優勝投手となったハンカチ王子の斎藤佑樹投手がプロに入ってから悲惨な状況だと話題です。

大学を卒業してから日本ハムに入り、2019年までの年俸推移と合わせて確認していきます。

プロに入って10年目となる2020年、斎藤佑樹投手はいつまで悲惨と言われるのか、年俸通りの働きが出来るのか、今後の年俸推移から見えてくるものは何でしょうか。

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斎藤佑樹のこれまの年俸推移は?


2010年にドラフト1位で日本ハムに入団した斎藤佑樹投手ですが、9年目となる2019年までの投手成績と合わせて年俸推移を見ていきたいと思います。

契約金1億円で入団した2010年!

契約金1億円はすごい期待されていることがわかりますよね!

1年目の2011年の年俸は1500万円でスタートします。2011年シーズンは19試合登板し、6勝6敗と新人投手としては良い結果を残しました。

2012年は1500万円アップの年俸3000万円になると、更には開幕投手に抜擢されて9回1失点の完投勝利となりました。

期待通りの結果を出した斎藤投手ですが、シーズンを通すと19試合登板して5勝8敗となりました。

しかし評価は高めだったようで、2013年は500万円アップの年俸3500万円で迎えました。

しかし2012年のシーズン終わりから右肩を怪我し、その影響で2軍スタートとなりました。

結果的に1軍での登板は1試合のみに留まり、2軍でも1勝3敗と不振に終わります。

2014年は700万円ダウンの年俸2800万円となりました。

ここから悲惨と呼ばれる時代に突入します。

入団4年目となる2014年シーズンからは怪我に悩まされた事を引きずるかのように一軍試合では6試合に登板して2勝1敗、2軍では17試合に登板して1勝7敗と不振が続きます。

2015年は300万円ダウンの2500万円でサインしました。

この辺りから野球ファンから年俸もらいすぎでは?という声も大きくなっていましたよね。

ライバルだった田中将大投手が楽天で日本一の投手になり、更にはメジャーに挑戦するなど、比較対象があまりにも大きすぎたのも原因だと思います。

その後も不振は続き、2016年は200万円ダウンの2300万円、2017年は300万円ダウンの2000万円、2018年は170万円ダウンの1830万円。

2軍生活が多くなってきた近年でもまだ1500万円以上もらっているという事実、そして戦力外にならない事にファンからは呆れる声が多いのも事実です。

斎藤佑樹の2020年の年俸は?

それでは逆に期待してしまう契約更新の時期ですが、2019年の年俸はいくらになったのでしょうか。

2019年は330万円ダウンの年俸1500万円と、遂に入団当時と同額でサインとなりました。誰も期待していないのでは?

と思うくらいの選手にまで落ちてしまったのですが、今年は少し様子も違うように感じます。

そして2020年は1600万円とされています。

2019年に1500万円だったのに対して100万円もアップされているんです。

活躍もできていないのに、1000万円いじょうの年俸とは、ちょっとズルいというか、世間知らずではないでしょうか。

 

2020年はプロ10年目の節目の年であり、ご本人の気合も違うと思います、最近は体つきが筋肉質になり引き締まっているという声が見られます。

練習試合では球が走って勢いがあり、無安打に抑える試合も増えています。

まだシーズン前、オープン戦前の段階なのでなんとも言えませんが、さすがに危機感を覚えていると思うので最後のチャンスと思って頑張っていただきたいですね。

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斎藤佑樹のこれまでの成績は?

2011年 19 登板 6 勝利 62 三振 2.69 防御率
2012年 19 5 59 3.98
2013年 1 0 1 13.50
2014年 6 2 20 4.85
2015年 12 1 24 5.74
2016年 11 0 14 4.56
2017年 6 1 14 6.75
2018年 3 0 3 7.27
2019年 10 0 11 4.74

前記でも述べましたが、入団1年目は6勝6敗とまずまずの成績を残し、2年目は開幕投手で完投勝利し5勝8敗と結果は残せました。

しかし3年目から徐々に不振となり0勝1敗、怪我をした4年目からは2勝1敗、5年目は1勝3敗、6年目には再び未勝利の0勝1敗。

7年目は1勝3敗、8年目は未勝利の0勝1敗と、2年に1回しか勝ち星を挙げることが出来ない不振続きとなっています。

斎藤投手が登板すれば負け試合、捨て試合、相手からすれば舐められたものだなと思うような投手になってしまったのです。

斉藤選手もプライドがあると思うのですが、斉藤選手は練習嫌いということで有名みたいです。

しかし結果が残せないのであれば、戦力外になってもおかしくないので、首の皮一枚で繋がっていると思って、もう一度這い上がってほしいと思います。

斎藤佑樹が悲惨すぎる!なぜ引退しない?

なぜここまで悲惨なのに引退しないのでしょうか。一番輝いていた時はやはりハンカチ王子と呼ばれた高校時代ですよね。

結果が残せないまま30歳を迎え、同世代の選手はメジャーで活躍するなど明らかに差が開いてしまっています。

高校時代に活躍できたけど、プロの世界では通用しなかった選手はたくさんいます。

なのに引退も無ければトレードにもなりません。

ただ、斎藤投手が自ら引退発言をした時期もありました。皆さんの期待に応える実力が無いと。

しかしそれを止めたのは日本ハムであり、そこからは改心して練習にもしっかり取り組んでいるとのことですが、今年こそはと球団もファンも、他球団ファンも気になっている存在です。

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斎藤佑樹が戦力外にならない理由は?

なぜ戦力外にならないのでしょうか。なにが魅力で日本ハムは斎藤佑樹投手を手放さないのでしょうか。

それはやはり人気の高さです。最も人気があったのは二刀流で一世風靡した大谷投手でしょうが、その大谷投手にも並ぶと言われるほど現在もグッズなどの売り上げは球団の上位を占めています!

1軍登板機会も激減しているのにもかかわらず、いつか見れるかもしれないという理由でファンクラブに入ったりユニフォームを購入したりグッズは数多く出ています。

ハンカチ王子というブランドはそう簡単に落ちるものでは無いようですね。

ただ、人気だけでプロ野球選手を続けるのも流石に限度があります。年齢も年齢ですので、そろそろ結果も出してもらわないといけないですね。

甲子園で見せてくれたあの熱戦をもう一度見たいファンも多いのです!

1軍投手として、もう一度這い上がってほしいですね!

斎藤佑樹がここまで落ちてしまった理由は?

あの田中将大投手と投げ合って勝った実力を持っているのになぜここまで落ちてしまったのでしょうか。

凄く分かりやすい原因がありました。それは練習嫌いというところです。

高校を卒業して沢山の球団からオファーがあったにも関わらず経験を積みたいと大学に進学しました。

しかし、大学ではそこそこの結果は出していました。

でなければ大学卒業後にスカウトが来る事もありません。

ただ、大学では全体練習以外の自主トレーニングは全くしなかったそうです。強制的に走るトレーニング以外では自主的に走ることもなかったそうです。

プロに入ってからも投げ込みや走り込みをせず、自主トレーニングもほぼしなかったそうで、ダルビッシュ投手も自主トレーニングに誘ったそうですが全く集中しない斎藤投手に呆れたそうです。

どの選手も結果を残さないといけない世界と分かっているのでトレーニングは欠かしませんが、そのトレーニングを怠るのですから怪我をしたり結果が落ちていくのは当然ですよね。

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斎藤佑樹はなぜ年収が高いの?


ここまで結果も出せないのになぜ未だに1600万円ももらっているのでしょうか。斉藤選手だけ贔屓されているのではないかとファンも納得がいきません。

日本ハムの栗山監督のお気に入りという話も聞きますが、監督が年俸を決めているわけではありません。

球団の特色かもしれませんが、日本ハムは甲子園の話題選手を取るのが上手な気がします。

甲子園で話題となった人気選手は大体日本ハムに入団していますね。

2018年ドラフトで言えば金農旋風を起こした吉田投手をドラフト1位で獲得し、その決勝で投げ合った春夏連覇という偉業を達成した大阪桐蔭の柿木投手もドラフト5位で獲得しました。

キャンプでは紅白戦で吉田投手と柿木投手を投げ合わせる甲子園の再現まで行うほどファンが求めているものをよく分かっている球団なので、今でもグッズ売り上げが上位にいるハンカチ王子はやはり手放しづらいところなのでしょうか。

しかし周りの選手は練習もしない人気者にはあきれ果てて触れもしません。

仲間たちには見放されているも同然の斎藤投手ですが、異常にポジティブな性格の持ち主なので、そのポジティブさを結果に繋げてもらいたいですね。

斎藤佑樹のプロフィール

1988年6月6日生まれの群馬県出身。

早稲田実業学校高等部の野球部に所属し、2006年に甲子園の決勝で田中将大投手と投手戦になり延長15回でも決着がつかない熱戦を繰り広げました。

翌日の再試合でも自ら先発を志願し、13奪三振で接戦を制して早実を初の甲子園優勝に導きました。

この夏の甲子園で汗を丁寧にハンカチで拭う姿が多く見られ、爽やかな高校球児と話題となりそこからハンカチ王子という名前が付けられました。

プロには行かず早稲田大学教育学部に入学し野球を続けて結果を残した結果、大学卒業後にヤクルト、日本ハム、ロッテ、ソフトバンクの4球団からドラフト1位指名され、交渉権を獲得した日本ハムに入団しました。

入団2年目には開幕投手で勝利投手となるも、3年目オフシーズンに右肩の怪我をきっかけに1軍登板機会が減り、不振が続くようになりました。

2019年には年俸も入団1年目と同額の1500万円にまで落ち、今年が勝負の年という声が後を絶ちません。

まとめ

高校球児の時はみんなが注目しており、そのままプロ野球に行くものだと思っていました。

しかし大学に進学し、逆に決勝戦で負けてしまった田中将大投手は高校卒業後に楽天に入団し、1年目で新人王、4年目には年俸1億円を超え、2013年にはシーズン24勝という偉業も達成。

せめてテレビなどでも見れてファンたちの目に少しでも多く触れれる1軍に登板してくれればと願うばかりです。

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