結婚前は、外交官として活躍していた雅子さまが優秀であることをご存知でしょうか?現在は皇后として公務や国際親善、福祉・教育関係の活動に尽力されているようですね。
そこで今回は、知的で上品である雅子さまの大学や、英語が上手な理由・生い立ちについて調査しましたので、皆さんにご紹介していきます。
雅子さまの大学は?
国内外での活動も増えている、雅子さまの大学について1つずつ見ていきましょう。
ハーバード大学
雅子さまはハーバード大学に入学しており、学生時代の様子について紹介します。
好成績で入学
高校時代に優秀な成績を収め、数々の名門大学に合格している雅子さま。1981年にはオールAに近い成績でハーバード大学経済学部に入学し、数理経済学を専攻しています。数理経済学はコンピューターを使った複雑な数式や高度なテクニックを必要とする分野ですが、平日は図書館でレポート作成や資料収集に没頭し、勉学に全力を注いだようです。
また、週末にはダンスパーティーやコンサートにも足を運び、上手に息抜きしながら充実した学生生活を送ったとされています。
大学での活動
在学中の雅子さまは、心身障害児の運動指導やフランス語サークルへの参加、日本文化クラブの創立など、さまざまな活動に取り組んだようです。1年次の夏にはドイツに2か月滞在してドイツ語を学び、2年次の夏にはフランスのグルノーブル大学でフランス語夏期講座に参加しています。
雅子さまは勉学や課外活動、語学学習・プライベートの充実を両立させ、卒業時には成績優秀者15%に与えられる栄誉学位『マグナ・クム・ラウデ』を受賞。経済学部では3人の快挙で、ハーバード大学を首席で卒業しています。
ハーバード大学卒業証書授与式での雅子さま。まん丸なお顔が若々しく健康的。経済学部を優秀な成績でご卒業された。#皇太子妃雅子さま pic.twitter.com/oSgiMF8wg6
— yayoi (@togashi1206) April 9, 2017
東京大学
日本に帰国した雅子さまは、東京大学を受験しているため、詳細について1つずつ見ていきましょう。
受験した理由とは?
「日本人として日本で父と同じ外交官として働きたい」と考えていた雅子さま。日本に帰国し、難関の外交官試験に合格できなかった場合に備えて、東京大学法学部を受験しました。
雅子さまは、1986年4月に学士入学として法学部3年に入学。学士入学はすでに学部を卒業した者を対象とし、外国語・小論文・面接の選考を経る狭き門ですが、見事に合格しています。
中退したの?
雅子さまはハーバード大学を卒業後、東京大学法学部に学士入学しましたが、在学中に外交官試験に合格し、翌年に中退して外務省へ入省しました。
『外務公務員採用一種試験』は、競争率40倍の超難関でしたが、雅子さまは一発で合格。父親も同試験に合格しており、「父娘2代の外交官誕生」と新聞各社で報道されています。アメリカで学んだ経済学の専門用語を日本語で覚え直し、法律科目の勉強に励んで見事に結果を出したようです。
『東大中退』はエリートの証?
ネガティブな印象の『東大中退』ですが、外務省ではエリートの証。外交官試験は2001年に廃止されていますが、昔は超難関で在学中に合格すると大学を中退してそのまま入省できました。
東大を卒業するよりも外交官試験に合格して入省する方が高く評価され、東大中退はエリートと言われていたようです。雅子さまは試験に一発合格しており、優秀さが広く知られるきっかけになっています。表面的には違和感のある言葉でも、背景を知れば納得できる評価です。
雅子さまの英語が堪能なのはなぜ?
英語が堪能な雅子さまは、幼少期から海外での生活を繰り返し、現地で教育を受けてきた経験があります。小和田家の教育方針は、外交官である父・恆さんの転勤に合わせて、家族全員で赴任地に移り住んで生活をすることでした。ハンデになる「子どもたちの転校」があっても、父と共に暮らすことを優先し、幼い頃から国際的な環境に身を置いてきたようです。
5~8歳と16~22歳の時期にはアメリカで現地教育を受けており、幼少期に英語の音に慣れていたことが、その後の語学力の基盤になりました。
雅子さまの華麗な生い立ちは?
小さい頃から、国際的な環境で育った雅子さまの、生い立ちについて探ってみましょう。
誕生
雅子さまは1963年12月9日に、外交官の父・小和田恆さんと優美子さんの長女として、東京都港区赤坂港町で誕生しています。
当初、世田谷区の外務省官舎で暮らしていた雅子さまですが、1歳の頃に家族でソビエト連邦モスクワに移り住みました。慣れない異国の生活に戸惑うこともあったようですが、驚くほどの早さでロシア語を習得し、家族に話しかけたり寝言を言ったりしていたとされています。
幼少期
父・小和田恆さんの在外勤務に伴い、幼少期をモスクワ、ジュネーブ、ニューヨークで過ごした雅子さま。1969年にニューヨークの市立第81パブリックスクールに入学し、1971年に日本へ帰国しています。
1972年に田園調布雙葉小学校へ編入後、中学・高校も同校に進学。中学校では、雅子さま自身がソフトボール部を結成して活動しました。1979年にアメリカのベルモントハイスクールに留学し、1981年にはハーバード大学経済学部へ入学。雅子さまの幼少期は、世界各地で学んで活動する生活だったようです。
皇室
ご婚約内定発表後、初めて外出なさる雅子さま。晴れやかな表情で。イタリア ヘルノ製のカシミヤコートが実に印象的。 #皇太子妃雅子さま pic.twitter.com/cIXgd8YIRS
— yayoi (@togashi1206) May 1, 2017
皇后雅子さまは、1993年1月に皇太子徳仁親王妃に内定し、同年6月に『皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀』が執り行われました。「結婚の儀」はテレビ中継で最高視聴率70%を超え、多くの国民が喜びと関心をもって見守ったようです。
皇室入り後は、公務に精力的に取り組み、国内外の行事や公式行事、慈善活動にも積極的に参加することで国民との交流を深めました。2001年12月には第1皇女子・愛子内親王が誕生し、家族で仲睦まじく登場する姿が多くのメディアに取り上げられ、国民の注目と関心を集めています。
まとめ
今回の記事では、優秀な経歴を持つ雅子さまの大学を中心に、英語が堪能な理由や華やかな生い立ちについて紹介しました。
雅子さまはハーバード大学経済学部を卒業していることに驚きましたが、東京大学法学部も受験していたようですね。現在は皇室に入り、公務に取り組む雅子さまの今後の活躍を見守りましょう!