まもなく天皇陛下が退位され令和元年が始まりますね。天皇家にとっても大きな節目となる令和元年。天皇陛下はもちろん、弟にあたる秋篠宮様とご結婚された秋篠宮紀子様にも注目されています。なんと紀子様には堕胎の相手がいた!?というのが調べてられています。これはちょっと気になりますよね!今回は紀子様の堕胎の相手の真相について調べていこうと思います。
紀子様の堕胎噂は本当?
紀子様について調べてみると、堕胎の噂がありました。本当だったら皇室にとってもかなり大きいスキャンダルだと思うのですが。調べてみたらこちらはあくまでも噂ということです。
しかしなぜこんな噂が出ているのかも気になりますよね。紀子様の堕胎については、どうやら紀子様が若い頃の噂のようです。若いころと言ってもどれくらい前なのか、なんと紀子様が秋篠宮様とご結婚された当時からの噂だと言うことがわかりました。
秋篠宮様とご結婚されたのは、1990年なので約30年も前の噂がずっと引き継がれていることになります。結婚してすぐに紀子様の堕胎が噂されたとなると、秋篠宮様と結婚された紀子様が気に入らないアンチの人が、紀子様の悪い噂も流した可能性もあると思います。
当時は今のようにネットはもちろんありませんから、口コミが次々と広がって言ったのかもしれません。
紀子様の堕胎の噂の出所についてもっと詳しく調べてみると、こんな意見もありました。
・紀子様が堕胎されたことを高田馬場の医師が話していた
・紀子様の堕胎について紀子様の父親の川嶋教授が陛下に伝えていた
という口コミが広がったそうですが、どれも信憑性が低い噂だと思います。もし紀子様が結婚前に本当に堕胎して天皇陛下にご報告していたなら、今問題となっている真子様と小室圭さんのように大きなスキャンダルに発展しているはずです。
しかし、これまで紀子様のことで大きなスキャンダルは出ていませんのであくまでも噂レベルということになりますね。
紀子様はご結婚前の彼氏との間に子供ができた?
紀子様のご結婚前の恋人関係についてもよく話題のネタにされていますが、秋篠宮様とご結婚される前に彼氏がいて、その彼氏との間に子供ができたのではないかとも言われています。
紀子様も若いころはとっても美人で可愛らしい女性でしたので、秋篠宮様と出会う前に彼氏がいたとしてもおかしいことではありません。その頃の紀子様だって、まさか天皇陛下息子さんと将来結婚することになるなんて思ってもいませんから、過去にどんな恋愛をしてようが関係ないと思いますが、結婚前の彼氏との間に子供ができてしまったというのも事実ではありませんでした。
もしご結婚前に子供ができてしまったのなら、それは秋篠宮様だったのではないでしょうか。どちらかと言うと紀子様より秋篠宮様の方がやんちゃで大学時代は結構遊んでいたそうですよ!
続いて秋篠宮様と紀子様の出会いについて紹介します。
秋篠宮様と紀子様の結婚までの馴れ初めは?
秋篠宮様と紀子様が出会ったのは学習院大学時代です。紀子様は1989年に学習院大学文学部心理学科入学し、その直後に秋篠宮様と出会いました。お二人が最初に出会った場所は、大学構内の書店だったのは有名な話ですよね!
今と違い連絡方法も限られた中、書店での出会いはまさに運命の出会いになりました。秋篠宮様は学習院大学の1年先輩で2年生。秋篠宮様は大学の書店の店員さんから紀子様を紹介されたそうです。
紀子様を紹介された秋篠宮様はまさに一目惚れと言わんばかりに紀子様に好意を持たれました。その後は自分が主催して作ったサークル「自然文化研究会」に紀子様を誘い一緒にサークル活動をしていく中、お2人の仲も深まったそうです。
大学時代の秋篠宮様は、結構遊び人だったらしく飲み会によく参加したり、紀子様の前にも彼女がいたそうですが、紀子様と出会い紀子様一筋になりました。
そして紀子様との婚約が1990年に正式に決定したわけですがこの時まだお二人は大学生でした。なんと秋篠宮様は20歳、紀子様は19歳です。若いですね!!
それだけお互い惹かれるところがあり、紀子様も秋篠宮様は弟なので皇太子妃にはならないので、皇室に嫁ぐとは言え雅子様よりはプレッシャーも少なかったのかもしれません。
このお二人のご婚約会見は平成元年9月12日の午後に開かれました。この年昭和天皇が亡くなり喪中であったにも関わらず婚約会見をしたことも話題になっていましたね。
そのためお二人は喪服のような黒い服に身を包み会見に臨まれたそうです。
婚約会見では秋篠宮様のプロポーズも話題になり、目白通りにある旧協和銀行の前の信号でのプロポーズされたと話されていましたね!改まってプロポーズしたわけでなく信号待ちでのさらっとプロポーズしたところも、中々できることではありません!
それだけ紀子様とのご婚約にも自信があったのかもしれません。学生結婚されたお二人は運命の相手だったとしか思えないですね!眞子様や佳子様もすでにお二人が結婚した年齢を過ぎていますので、早く眞子様の婚約についても解決してほしいと誰よりも紀子様が願っていることでしょう。
紀子様は悠仁様を産み分けされた?
紀子様の堕胎と同じくらい世間で噂されているのが、紀子様が悠仁様を産み分けされた問題です。悠仁様も元気に育っている今、今更産み分けとかどうでもいいと思うのですが、それだけ紀子様も注目されているということになりますね。
紀子様の産み分けについての声をまとめてみました。
・次女佳子様の出産から12年間のブランクがあってなぜ出産したのか
・雅子様が第2子を中々ご懐妊されないことに宮内庁が秋篠宮様と紀子様に男児を産むように促した。
・男の子を授かるために、着床前性別選択をした
など紀子様が産み分けをしたのではないかと言われていますが産み分けをするのも中々難しいと思います。最近は医療も発達していますが、男女どちらを授かるのかは、神様のみしかわからない問題です。
しかしもし産み分けをしたのなら紀子様が産み分けしたのではなく、国の制度が産み分けさせたのです。
なぜなら、紀子様が第三子である悠仁様を12年ぶりにご出産されたのも国が天皇家の血筋を引く男児を求めたからだと思いませんか?そもそも秋篠宮様と紀子様は結婚当初から子供はたくさんほしいと思っていて、次女佳子様が生まれた後も、3人目が欲しいと願っていたようです。
しかし兄の皇太子様と雅子様には中々お子さんが授かれないことから遠慮していたという意見もあります。中々ご懐妊できない皇太子妃を前にして、弟の秋篠宮様と紀子様も立場を考えて控えていたそうです。
そして雅子様の妊娠が判明し、第一子愛子様が誕生しました。しかし愛子様が誕生して世間が注目したのは男児ではないということです。どうやら宮内庁の官僚は雅子様がご出産してまもなく「次は男児を生んでほしい」と雅子様に言ったとか。
これは酷すぎる発言です。雅子様も男児ではなかったことに相当プレッシャーがあったと思います。わざわざ言わなくても、わかっていることであり、男児が欲しくても生まれないこともあるし、子供が欲しくても妊娠できない人もたくさんいます。
この問題があり、当時秋篠宮様と紀子様の子供も真子様と佳子様の女の子二人でしたので、宮内庁から秋篠宮様と紀子様に3人目を望むという発言があったのも事実です。
ここまできてしまうと、産み分けはしていないものの、国がコントロールしていたと言ってもおかしくありませんし、男の子がどうしても欲しいと言っていたので、何からしら産み分けのようなことも行っていたとしても納得できてしまいます。
こんなこともあり、今でも紀子様は産み分けをしたと言われていますが、紀子様の意思ではなく、国が産み分けをしたんですよね。
悠仁様が無事に誕生されたので、今更あーだこーだと噂する必要はないかと思います。
紀子様の生い立ちは?
賢くて美人で頼りになる紀子様。どんな家庭で育ったのでしょうか、紀子様の家族は4人家族で出身地は静岡県静岡市です。
紀子様のお父さんは川嶋辰彦さんで、現在は学習院大学の名誉教授に就任されています。皇室との関係も深い学習院です。川嶋辰彦さんは東大卒業後、海外での勤務が多く紀子様も幼少期からアメリカ・オーストラリアなど海外で生活していたため、英語も堪能でペラペラです。
日本に帰国後学習院女子中等科に入学しそのまま高校、大学も学習院で学びました。
1989年(平成元年)学習院大学大学院人文科学研究科へ進学、翌年の1990年には秋篠宮様との婚約が発表されましたね!秋篠宮様が選んだ女性が一般家庭で育ったお嬢さんだったことから当時は紀子様ブームが到来したほど注目を浴びる存在になりました。
紀子様のプロフィール
正式名称:秋篠宮文仁親王妃 紀子(あきしのみや ふみひとしんのうひ きこ)
生年月日:1966年(昭41)9月11日
旧名:川嶋 紀子(かわしま きこ)
出身:静岡県静岡市駿河区
まとめ
紀子様の噂が今でも色々とありますが、皇室のことって一般人には想像できない部分が多くあります。そのため私たちは、あれこれ想像してしまう気持ちもよくわかります。
一つ言えるのは紀子様と秋篠宮様は間違いなくお互いが惹かれあい結婚されています。大学時代もお二人はいつも一緒で常に秋篠宮様の隣には紀子様の存在があったそうですよ。
そう考えると紀子様の堕胎は噂が広がったとしか思えませんね!