皇室関係

雅子様が皇后無理で異常なプレッシャーを感じてる?病気の状態も気になる!

2019年5月1日、いよいよ新しい元号“令和”が始まります。雅子様も皇后陛下になられます。プレッシャーも相当なものかもしれません。そうなると、体調も心配です。皇后陛下になられても、これまで通りお姿は見れないのでしょうか。雅子様のご病気の状態がどうなのか、まとめてみました。

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雅子様に皇后は無理なの?重圧を感じてる?

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雅子様には皇后は無理だと、一部マスコミが報道したことがありました。皇太子殿下1人きりでの公務が続いていたので、そんな声が出たのでしょう。確かに皇后になるというのは、想像できない重圧があるはず。

むしろ重圧を感じない人だったら、皇后にはならないでほしい。雅子様は自身が皇后になることを、皇太子殿下とご結婚されるのですから、はじめから解っておられたことですよね。雅子様はご婚約が内定してから、お妃教育にあたる『ご進講』を受けられています。

このお妃教育では、将来の皇后陛下になるために、必要な宮中祭祀や皇室制度など、様々なことを学ばれたそうです。皇太子殿下が、この人こそと思われた方なのですから、雅子様こそ皇后にふさわしいといえるでしょう。

重圧というなら、紀子様のほうが大変ではないでしょうか。秋篠宮様が皇太子に相当する皇嗣になられるので、紀子様は皇嗣妃に。ところが雅子様ほどのお妃教育を、紀子様は受けられていません。社会人の経験もありません。

そもそも秋篠宮様は次男なので、皇太子殿下のような帝王学を学ばれていないといわれています。そのせいか、過去には自由な発言が物議を醸しました。今後もこのような発言をされたら、令和の天皇は皇嗣に支えられるどころか、皇嗣を支えることになるかもしれません。皇后になられる重圧より、雅子様の精神的ご負担が心配です。

雅子様が皇后が無理な理由や原因はやはり病気が原因?

咲椰々さん(@_s_a_y_a_y_a_)がシェアした投稿


雅子様は2003年から、療養生活を送られています。そのため、おおやけの場に出られることは激減。大切な場であっても途中退席されるなど、最後まで通して出席されることがなくなりました。

天皇皇后両陛下は、いつもおふたり揃って式典に出席されるイメージが強くありませんか。皇太子殿下が1人で出席されているのを見ると、雅子様が皇后になるのを良しとしない人がいるのかもしれません。

雅子様が欠席されるのは、病気療養中のためだと言われています。そのため長時間の公務は、控えてこられました。長時間の公務が、雅子様にどう影響するのかは知らされていません。

そのため、何が良くて何がダメなのかわからないのですが、とにかく雅子様の体調、精神状態によくないということなのでしょう。病気で公務に出られないから、皇后に向いていないというのは、病気で苦しんでいる人を否定する、心の狭い考えにも聞こえますね。

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雅子様の適応障害は雅子様のキャリアがすごいから?

雅子様の病名である『適応障害』について、宮内庁は何に対しての適応障害なのかは公表していません。そのために、雅子様のキャリアを原因にする声もあります。

雅子様はご結婚されるまで、女性初の外務省キャリア官僚として、得意の英語力を発揮し、活躍されていました。

皇太子殿下も「外交官として働くのも、皇室の一員になるのも、国のために働くという意味では同じではありませんか」とプロポーズされたそうですから、颯爽と王室外交をされている雅子様を想像した人も多いはず。

雅子様もそういったご自身の姿を、思い描かれていたかもしれません。ところが、皇室外交より先に世継ぎをという宮内庁の計らいか、海外訪問はわずかしかなく、外交官としての雅子様のキャリアがほとんど活かせませんでした。

1996年5月に、アメリカのニューズウィークに、雅子様は伝統の中で能力を発揮できないという内容の記事が掲載されるほどだったようです。外務省キャリア官僚という過去がなくても、皇太子殿下の元に嫁ぐのです。

そこには、今までと全く違う生活が待っています。一息ついてる余裕もないほど、大変なことの連続かもしれません。覚えなければならないことも沢山あるはずです。雅子様のいつも糸が張り詰めた状態だったのでしょう。そんな心の糸なら、何かちょっとしたことでもあれば、プツンと切れたのかもしれませんね。

雅子様の学歴がすごい!

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雅子様はキャリアだけでなく、学歴も凄い才女です。外交官だった父の転勤で、ロシアとアメリカで幼少期を過ごしたのち、日本に帰国。世田谷区の田園調布雙葉学園・田園調布雙葉小学校に編入し、田園調布雙葉中学校ではソフトボール部を結成しています。

田園調布雙葉高校に進学。その後、アメリカのマサチューセッツのハイスクールに転校しました。転校先では、ソフトボール部と数学クラブに所属。

High Honor student (最優等学生)と認められ、アメリカ政府が米国全体の上位5%の生徒に贈る「ナショナル・オーナー・ソサイティー」National Honor Society(NHS)を受賞しています。

またドイツ語科では、ドイツ政府運営のドイツ総領事賞及びゲーテ・インスティトゥート賞(Goethe-Institut)を受賞しています。

さらに高校(12年生)から大学1年にかけての時期、講談社がアメリカで編集製作していた「エンサイクロペディア・オブ・ジャパン(英語版日本百科事典)」の編集を手伝っていました。

こんな才女の雅子様は、ハーバード大学経済学部に入学。国際経済学を専攻していました。在学中は、心身障害児の運動指導やフランス語のサークルに参加する一方、1年時に日本文化クラブ(ジャパニーズ・カルチャー・ソサエティー)を自ら創立し、1年のときに書記、2年で副会長、3年のときには会長を勤めたそうです。

ここではライシャワー教授などの著名人を招いての講演会、浮世絵や能の紹介、黒澤明監督作品などの映画上映、習字・折り紙の紹介、日本食の試食会、ダンスパーティーなど日本文化を紹介するイベントを企画していたんだそうですよ。さらに学生評議会の広報担当も経験。

1年の夏休みにはドイツのゲーテ・インスティチュートに2か月滞在し、ドイツ語の特訓。2年の夏休みには、フランス・グルノーブル大学のフランス語夏期講座に参加するなど、外国語の活動も活発だったと記録が残っています。

充実を通り越して、寝る暇がないほど忙しかったんじゃないかと思いませんか。ハーバード大学を卒業されるときの卒業論文『External Adjustment to Import Price Shocks : Oil in Japanese Trade(輸入価格ショックに対する外的調節:日本の貿易における石油)』は、成績優秀な学生に贈られる「Magna Cum Laude(マグナ・クム・ラウデ、優等賞)」を受賞したほどの出来でした。

帰国後1986年4月、雅子様は東京大学法学部第3類(政治コース)の3学年に、100人中3人の狭き門を突破し合格、外部学士入学を果たします。

この年の10月に外務公務員採用I種試験(外交官試験)に合格し、雅子様の外務省入省が決まり、女性初のキャリア官僚と話題になりました。

外務省では経済局国際機関第二課に配属されていましたが、翌年1988年から外務省の研修留学として、オックスフォード大学ベリオール・カレッジに留学していました。

ハンパじゃない超高学歴に、外務省キャリア官僚。絵に描いたようなシンデレラストーリーすぎて、まさに皇室に嫁ぐべき人だったんだと思ってしまう人も多いですよね。雅子様自身の本音はわかりませんが。

これから築かれる『令和』の皇室では、ぜひ雅子様の輝かしい学歴やキャリアを活かせるような公務をして生き生きとした雅子様の姿が見たいですね!

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雅子様が新天皇陛下の嫁に選ばれた理由は?


1985年11月、皇太子さまがイギリス・オックスフォード大学マートン・カレッジでの大学院の留学から帰国された際に“理想の女性像”を語られ、とても話題になりました。振り返ってみたいと思います。

「この人ならという女性に会ったことは、まだないです」

「身長、学歴、家柄とか、私はそれほどこだわらないです」

「相手として、自分と価値観が同じである人が望ましい」

「具体的にいえば、美しいものを見た時、それを美しいと評価できる人」

「大切なものを大切と認識して、大切に扱う人」

「ぜいたくを避けるという意味で、金銭感覚が自分と同じ人」

「ニューヨークのティファニーで、あれやこれや買う人は困る」

「二番目に、だれとでも気軽に話ができ、人と会う場合でも、その人と話そうという環境をつくり出せる人」

「話す時も控えめではあるが、必要な時にはしっかり自分の意見を言える人」

「外国語は、できた方がいい」

「さらに自分と、趣味を分かち合える人がいいと思います」

まだ雅子様には出会われていないときのご発言らしいのですが、皇太子さまらしい女性のタイプだなと思いました。皇室に嫁ぐなんて、人生が180℃変わってしまいますので、やはり嫁探しも大変だったのではないでしょうか

1986年10月、来日したスペイン国王カルロス1世の長女、エレナ王女の歓迎レセプションに出席され、お2人は出会われ、1993年にご結婚されました。ご婚約内定目前と思われたお話も、皇太子殿下が雅子様への想いを裁ち切れず、破談になっています。

それほど、雅子様は皇太子殿下の理想の女性だったのかもしれませんね。雅子様を見たとききっと皇太子様は一目惚れだったのでしょう!雅子様が諦めきれずに再アプローチしていますし、この女性ならという気持ちが強かったんでしょうね。

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雅子様の肉声が2002年以降消えていた?

実は雅子様の肉声は長い間国民は聞いていません。いつからだったのかもうわからなくなっていますよね。言われてみれば、長い間、雅子様の肉声を聞いていなかったかも。

1996年から、ご自身の誕生日には、単独で記者会見に応じてこられた雅子様でしたが、2002年が最後になっています。

2003年の誕生日は、目前に帯状疱疹で入院されてしまわれ、翌年に適応障害と診断。療養生活に入られてしまいましたからね。

天皇皇后両陛下が、記者会見をされているイメージがないのですが、新しい『令和』の皇室では、雅子様の肉声が聞かれるかもしれないですね。期待しましょう。

雅子様の人格否定発言浩宮の乱(ひろのみやのらん)とは?

雅子様の療養が続き、国民が心配する中、2004年5月、皇太子殿下がヨーロッパ訪問を前にした記者会見で「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言されたのが『浩宮の乱』といわれるものです。

 

『浩宮の乱』により、海外育ちで国際派と見られていた雅子妃と、伝統と慣習に厳格な宮内庁との間の不和が、浮き彫りにされたとマスコミは報道しました。

その後、病名が適応障害と発表されると、雅子様のことを海外旅行に行ったり、自由にできない結果、皇室に適応できない、“わがまま病”だという人も現れました。本当にそうでしょうか。

雅子様はご結婚後、外交より世継ぎを先にという、宮内庁の計らいからか、海外訪問はわずかしかありませんでした。中々第一子をご懐妊されない雅子様に対して冷たいバッシングがあったのも事実です。そして1999年暮れに流産されましたが、2年後には待望の第1子、愛子様がご誕生されました。

雅子様は1年ほど産休を希望されたそうです。けれど美智子様は8週間で、公務に復帰されているからと、雅子様も2ヵ月の産休しか宮内庁は認めなかったそうです。人それぞれ個人差はありますが、雅子様は38歳でのご出産です。

20代でご出産された美智子様や紀子様とは、年齢も体力も違います。男尊女卑が強く、女は子供を生む道具と思われていると聞くと、少子化対策で失言する政治家を思いだしますが、宮内庁もまさにそうだったんでしょう。

愛子様がご誕生になったばかりだというのにすぐに「次は男の子を」と、雅子様に過度のプレッシャーをかけ続けていたと思われます。愛子様が誕生してすぐにですよ、信じられないですよね。

プレッシャーをかけられても、子供は天からの授かりものです。雅子様に懐妊の兆候はありません。このままでは、皇室は男系男子による相続が絶えてしまう一大事です。

そこで思わず、心の叫びが口をついて出てしまったのでしょう。当時の宮内庁長官が2003年6月、記者会見で皇太子夫妻の第2子への期待について「やはりもう一人ほしい」「多くの国民もそう考えているのではないか」と発言したんですね。

さらに12月には「秋篠宮様のお考えはあると思うが、皇室と秋篠宮一家の繁栄を考えると、三人目を強く希望したい」と発言。

12月は雅子様が、帯状疱疹で公務を休まれたとき。皇太子殿下が前述の人格否定を口にされるのも、納得です。どれほど雅子様は傷つかれたでしょう。

皇太子殿下の人格否定発言について、宮内庁長官は「御発言の真意を直接殿下に伺いたい」との見解を発表しています。男女共同参画基本計画は、宮内庁には届いていないのかもしれませんね。

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雅子様が皇后が無理なのは異常な重圧と美智子様が凄い方だから?

Masataka Minagawaさん(@conami37)がシェアした投稿


美智子様が皇室に嫁がれたときには、『ミッチーブーム』が起こったといわれています。1957年に聖心女子大学英文科を卒業していた美智子様は、その年の夏、皇太子殿下と軽井沢で、親善テニス・トーナメントの対戦を通じて出会われたんだそうです。

皇太子殿下は美智子様の人柄に惹かれて、自ら妃候補にと言及されました。妃は皇族か五摂家といった、特定の華族から選ばれるのが皇室の慣例でしたが、天皇陛下も了承され、初の平民出身皇太子妃が誕生することになりました。

ちなみに五摂家とは、鎌倉時代に成立した藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った5家、“近衛家”・“九条家”・“二条家”・“一条家”・“鷹司家”のことをさしています。

美智子様は日清製粉社長正田英三郎の長女で、大和郷幼稚園、雙葉学園雙葉小学校附属幼稚園を経て、1941年に雙葉学園雙葉小学校に入学します。

その後、疎開で転校を余儀なくされますが、終戦後、雙葉学園雙葉小学校を卒業。品川区五反田に住んでいて、通学が不便なことから聖心女子学院中等科へ入学。1953年3月、聖心女子学院高等科をトップクラスの成績で卒業します。

1957年、聖心女子大学文学部外国語外国文学科(現・英語英文学科英語英文学専攻)を首席で卒業します。在学中はクラスの福祉委員(ウェルフェア・メンバー)委員長、プレジデント(全学自治会会長)としても活動していたんだそうですよ。

卒業式では、総代として答辞を読まれました。当時としては才女の美智子様ですが、家柄の問題から反対の声が上がり、正田家も家柄が違い過ぎるからと固辞されていましたが、皇太子殿下の「柳行李一つで来てください」との言葉が決め手となったと報道されています。

まわりの反対する中、想い続け結ばれるなんて、今の皇太子殿下と雅子様を思いだしませんか。1958年11月、ご婚約が内定しての記者会見で、美智子様が話された「とてもご誠実で、ご立派で、心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げて行かれる方だというところに魅力を感じ致しました。」は、今でもVTRで流れますが、当時は流行語にもなったそうです。

この頃から、生まれた女の子を“美智子”と名付ける親が急増したんだとか。美智子様は出産にあたり、皇室の慣習である宮中御産殿での出産や、乳母制度、傅育官制度を廃止し、内親王を手元で育てられました。

美智子様は平民出身で苦労をされましたが、オシャレで美しく品格があり、人間性が素晴らしいと、国民からは絶大な人気があります。そんな美智子様にかわり、雅子様は新皇后となられるのだから、重圧はあって普通でしょう。

けれど雅子様の人気も、なかなか。相手の方と同じ目線で話されたり、ときには涙を見せられたりと、平成の世で天皇皇后両陛下が築いてこられた国民との距離、信頼は、令和の世にちゃんと受け継がれています。

気になる雅子様の病気の状態は?

雅子様の病状は、少しずつ回復に向かっているといっていいでしょう。これまでは途中退席されていた公務に、最後まで出席されることが増えてきました。さらに、新天皇として泊まりで出席される公務にも、すでに雅子様も参加の予定が組まれているそうです。

雅子様には、皇太子妃から皇后という環境がかわるのが、プラスに影響しているのかもしれません。美智子様は雅子様に直接、皇居で伝統的に行われている養蚕の引き継ぎもされました。

新天皇皇后として、たくさんの公務がこれから待っています。体調のことを言っていられない公務もあるでしょうが、きっと乗りきってくださるのではないでしょうか。

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まとめ

いかがでしたか。雅子様は、快方にむかわれているようで、一安心ですね。

新しい時代『令和』では、外交官としてのキャリアを活かし、輝いている雅子様にお会いできることを期待しましょう。