皇室関係

雅子様の実家は今も目黒区南で警備されている?間取りや豪邸でやばい!

2019年5月に后妃となられる雅子様。目黒区南にある豪邸のご実家には今も御両親が住んでいるのでしょうか?また、雅子様のご実家には警備がついているとのことで、今でも目黒区南の豪邸に警備はついているのでしょうか?豪邸の間取りも気になります。
そこで雅子様のご実家の間取りやご家族について調べてみました。

雅子様の実家の現在!宗教は創価学会?

現在雅子様のご実家は、昔と変わらず目黒区南の豪邸です。ご両親は昨年生活拠点をオランダから日本に移し、15年ぶりに目黒区南のご実家で生活されているようです。また、86歳と81歳のご高齢であるため、バリアフリーのリフォームも行われたようですよ。それまでは、雅子様の双子の妹節子さんが一人で暮らしていたようです。

そんなご実家小和田家が創価学会員ではないかとの情報があり調べてみました。
外交官の恒さんが、創価学会の会長池田大作氏がソ連訪問の際、橋渡しとなったという噂があるようです。

また、雅子様のお母様優美子さんが日本ユニセフ協会評議員を歴任しており、ユニセフ協会には創価学会の人が多数在籍していることからも噂が本当ではないかと言われています。
しかし、信憑性がなく噂レベルの話でした。宗教は人それぞれなので、はっきりさせる必要もないと思います。

雅子様の父親の現在!学歴もすごい

雅子様のお父様は、小和田恒さん(86歳)です。1932年、8人兄弟の4番目として生まれます。ご兄弟の経歴もここでは紹介しませんが御立派です!その中でも小和田恒さんは書ききれないほどの経歴をお持ちで、外交官ということもあり、世界中でお仕事されていました。一部ですが紹介していきます。

・1955年(昭和30年) 東京大学教養学部教養学科卒業(教養学士)外交官領事館試験に合格
・1955年 外務省に入省
・1955年夏から1959年まで 英国ケンブリッジ大学法学部大学院にて学び、法学士の博士課程を修了されています。
・1959年から1965年 日韓国交正常化に携わり、在ソ連日本国大使館の一等書記官に就任様々な国際的な役職に就かれました。
・2003年 オランダハーグ国際司法裁判所判事に任命
・2009年 同裁判所の所長となります。
・2012年 所長辞任、その後も判事としてお仕事されています。
・2018年6月 判事を途中辞任

雅子様のお父様は雅子様の后妃となられたときのことを考慮され、また85歳という高齢であることも理由の一つとし、国際司法裁判所の判事を辞任されました。オランダハーグを拠点に生活していましたが、2018年辞任したことで、15年ぶりに生活拠点を日本に移されます。

雅子様は小さい頃から、外交官である恒さんに辞令が下りるたびに海外へ家族で移住する生活をされていたんですね。そのため家族のきずなは強く、雅子様の「実家至上主義」も理解できます。

雅子様の母親の現在!優美子さんは病気?

雅子様のお母様は、小和田優美子さん(81歳)
旧姓:江頭優美子
生年月日:1938年1月30日
慶應義塾大学文学部卒業
エールフランス航空東京支社長秘書
日本ユニセフ協会評議員
優美子さんは病気?認知症?との噂がありましたが、確かな情報ではないようです。
恒さんがオランダで判事をされてる頃はオランダで一緒に暮らしていたようですし、辞められてからも一緒に帰国されているようです。
公の場にも登場されませんし、確認は難しいですね。

雅子様の双子の妹礼子さん現在!学歴がすごい

雅子様の妹は実は双子なんですよね、雅子様に注目されても中々家族について紹介はもうされないので知らない人も多いようです。

・名前:小和田礼子(双子の姉)
・生年月日:1966年7月8日
・慶應義塾大学法学部卒業
・ジュネーブ大学法科大学院修了後、国連職員として、様々な役職に就かれています。
・2000年 池田祐久さんと結婚

池田祐久さんは現在シャーマンアンドスターリングという事務所で国際弁護士をされています。お子さんも2人いますが年齢や名前はわかっていません。

雅子様が体調を崩され小和田家の軽井沢の別荘で療養中の際は「礼子さんをお世話係である女官に据えるべき」との声もあがっており、后妃になられる雅子様の支えに今後なるんでしょうか?

雅子様双子の妹節子さんの現在!離婚は本当?

名前:小和田節子(双子の妹)
生年月日:1966年7月8日

小和田節子さんは、東京大学文学部英語英米文学科卒業しています。卒業後は本田技研工業に就職しましたが、本田技研工業を3年で退職後、東京大学教養学部に学士入学、修士課程へ進みます。

その後ハーバード大学人類学部博士課程修了。ジュネーブや、東大、早稲田の教員を経て、
星槎大学(通信制)の教授をされています。

1999年 渋谷健司さんと結婚(ハーバード大学の学友)。渋谷健司さんは東京大学医学部付属医師として産婦人科で勤務なども経験され、その後東京大学大学院の教授をされており、住まいは実家のなくなった祖父母が暮らしていたおうちで暮らしていたようです。

 

しかし2017年、結婚19年目で離婚され、その後節子さんは目黒区の実家で一人暮らしされています。体調を崩しがちだった節子さんですが現在は、ご両親も実家に戻られており安心ですね。今後后妃になられる雅子様を支えるため節子さんを側近にとの声も出るかもしれませんね。

 

雅子様の実家は今も目黒区南の豪邸?間取りは?

雅子様の実家、小和田邸は今も目黒区南の豪邸です。豪邸とは想像していましたが、注文住宅のようなおしゃれな作りにびっくりしました。高級住宅街の一角ですが、両隣は和風のお宅で、雅子様の実家はコンクリートなので、存在感があります。

地元では「コンクリート御殿」と呼ばれており、有名な建物となっているそうです。
建築家、有泉快夫さんが設計されました。雅子様のお父様小和田恒さんが旧ソ連の公使をしていたころ、在ソ日本大使館の設計を有泉さんが担当していた縁で小和田邸の設計が委ねられます。

雅子様のお父様は外交官で、日本を代表する立場であるためそれをどう形にするかが設計するうえでの課題になっていました。また、雅子様のお母様の両親との二世帯住宅で、行く行くは三世帯も視野に入れたプライベートな空間づくりと、団らんが要求されていたのです。
そして、完成したのが今の小和田邸です。

通りに面した北側は窓のないコンクリート壁が印象的で二つの錬を左右対称にさせ庇で連帯感を出しており一見殺風景な印象になっていますが、南側は窓がたくさんありバルコニーが二つの錬を繋いで広がっており、光あふれる開放的な作りになっています。

1階は共同パブリック、2階はプライベート、「巧みな天井高の設計と開口操作により、光と翳が妙味あるハーモニーを醸し出している」と専門家に絶賛される作りとなっています。

・敷地120坪
・建物の面積80坪
・二世帯住宅
・8から16LDK

内部はどういう作りになっているのか情報はありませんでしたが、大都市目黒区でこれだけの敷地は、大豪邸ですね。2018年、15年暮らしたオランダを離れて帰国された際、恒さんは85歳、優美子さんは80歳と高齢で、急な階段や、滑りやすいフローリングを足腰が弱くなったご夫婦が住みやすいようにとリフォームが行われたそうです。

雅子様の実家は今も警備されている?放火未遂事件とは?

2019年1月2日、午後7時15分ごろ小和田邸前で警備をしていた警察官に殺虫剤のようなものを吹き付けライターで引火するという事件が起きました。女性警察官に怪我はなくその場で取り押さえられた75歳の無職の男性は、「警察に恨みがあった」と話しているそうです。

物騒な事件でしたね。日頃から小和田邸には常駐の警察官が立っているようです。

雅子様の父親が逮捕されていた?

まさか!あの立派な経歴を持つお父様が…と調べてみると、全く根拠のない噂でした。
お父様が株に手を出し多額の借金をし、スイスの銀行で天皇のお金を引き出そうとしているところを逮捕されたというのです。

2016年にスイスで逮捕され今も拘留中というからびっくりです。どうしてこんな噂が出たのか、わかりませんが、現在はご夫婦で目黒区のご実家で生活されています。

雅子様が実家に住んでいた時期はどれくらい?

近隣住民から『コンクリ御殿』と言われている雅子様のご実家。この豪邸には雅子様はどれくらい住んでいたのでしょうか?雅子様の実家であるコンクリ御殿が完成したのは1986年のことです。

なので雅子様がちょうど東京大学を中退し外務省に入所した頃になりますね。豪邸が完成しても雅子様は当時スーパーキャリアウーマンでしたから、かなりお忙しい毎日を過ごされていました。

外務省に入ってからも、24歳でオックスフォード大学へ研修留学もされていて、26歳で北米局北米二課に配属されていることから目黒区の実家で過ごした期間は僅かだったのかもしれません。

雅子様もまさか自分が将来皇后様になるとは知りもしませんから、ご実家でご両親とゆっくり過ごしたのは本当に僅かな時間になってしまいましたね。

まとめ

2019年5月から「令和」となり、皇太子さまが天皇陛下になられ、雅子様が后妃となります。それに伴い、今回雅子様のご実家やご家族について調べてみました。ご家族もやはり立派な経歴をお持ちで、様々な噂もありましたが、これからも雅子様の精神的な支えになっていってほしいと思います。